息子。
保育園主催のお祭りの時、全員で参加する盆踊りを踊りませんでした。
踊りの輪に入らず、園庭の端で興味なさそうに眺めてただけ。
近所の夏祭りに参加してる時なら、まぁ別に踊りたくないなら・・・とも思えましたが
保育の一環での盆踊り。言えば運動会のダンスをしないようなものと私は認識。
楽しそうに踊ってる子たち。他の遊具で遊んで叱られる男子数人。
そのどちらでも無く、踊ってるのは見ても自分は踊る気が無い息子。
「なぜ踊らないの?」
「みんな踊ってるでしょ。そんなところにいないで踊りなさい。」
帰ってきてからでタイミングずれてるし、クドクドだし、
途中から怒りにかわって・・・もうダメダメな母親。
日にちがたって、ふと。
「参加しなさい。」
だったのかな、と。
うちの息子、「みんな」という言葉に対して反応薄いです。
良いのか悪いのか?
いやいや、or ではなく。良いほうに伸ばすのが親の力量。
子育て、奥歯にものが挟まった感じ。私がとるべき行動。
こんな感じで落ち着けていいかな。母親として大丈夫かな。
子育てしてると今まで目をつぶってきた自分のよくないところと
真正面から対峙して、くじけそうになるんですけど 涙。
子供達に口先ばっかじゃダメだし、ふんばるしかないね。
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教育環境設定コンサルタント・松永暢史氏の言葉
(まだサラッとしか知らないけれど、私はこの先生の文章面白い。
ダメな人もいるだろうなー 笑)
「14歳ぐらいまでは極端に言えば、「本を読むこと」と「作文」「計算(特に暗算)」だけをやればいい。この時期に、勉強よりも大事なのは、外へ出て他の子供たちと群れ、擦(こす)れあい、思う存分、体を動かして「遊ぶこと」です。
その中で子供たちはいろんな経験をする。例えば、けがをしたり、いたずらをして大人に怒られたり、友達とけんかしたり、失恋することもあるでしょう。こうした経験をどんどん積み重ねてゆくうちに「判断力」「想像力」が身につき、コミュニケーション能力も磨かれていくのです。こういう子供たちが14歳ぐらいから本格的に勉強を始めるとグングン伸びます。
勉強というのは“やらされる”ものではなく、「主体的」にやるものです。いろんなことを「知りたい」という好奇心が広がり、自分で参考書を開いて知識を深めてゆくのが本来の学問でしょう。読書を勧めるのも、一方的に(情報を)受け取るだけのテレビなどとは違って読書が「主体的」な勉強の始まりだからです。
幼い頃から“塾通いをさせられている”子供たちの多くにはその「主体性」がありません。だから時間をかけている割には成果が上がらないし、目標の学校に入った途端に“燃え尽きてしまう”ケースもあります。夏休みに幼い子を朝から晩まで塾へ行かせる時間があるのなら、キャンプへ行って自然に触れたり、昆虫を追っかけていたほうが、よほど好奇心を育てたり、主体性を獲得するのに役立つでしょうね。」
色んな事にすぐグラツク私。あれもこれもと欲張ってしまうし。
松永先生の言葉に目から鱗(最近よく鱗取れる 笑)。
子供の事、欲張らないようにと教えられた気がしました。